さて、気を取り直して順延開催日の1月3日。満を持して私は新潟に向かった。この日も新潟地方は
雪らしいが新潟に残った知人に聞くと、翌日以降は主催者側の都合で物理的に開催は困難なので、
この日は時間をズラしてでも開催するということらしく、一抹を不安を抱えながら新潟に
向かう。しかし、移動の途中で私にはいった報は、ギリギリ粘った末にやはり開催延期。
市内に着くとこの雪。これじゃ無理だわな。とにかく開催は翌日延期に決定で、
今はいつになろうが無事に開催してフィナーレを迎えられることを祈るだけだ。

雪はちらついていたがこの日は開催可能な状態らしい。なら、いざ出陣。と向かっていくと、
「1Rは予定通り実施」という報を聞き、ほっと胸をなでおろし競馬場に向かう。
しかし、競馬に着けばこの有様・・・。2Rまでは予定通り行われたものの、結局は3R以降は
取りやめ。同時に延期の無い中止が決まった。つまりメインを含んでレースは実施されず、
2Rまでで新潟県競馬は終焉となってしまった。

開催中止決定して間もなく、スタンドの中でジョッキーや調騎会会長(赤間松次調教師)らが
整列し、セレモニーを行った。当初は最終レース終了後にコースで行う予定だったものの、
この悪天候である。こんな場所でドタバタという感じでしかやらざるを得ないのも
かわいそうだった。花束贈呈や向山騎手の挨拶が行われた。しかし赤間調教師の挨拶にあった
「最後は天候すら味方にしてくれませんでした」という言葉が全てを物語っているのでは
ないだろうか。挨拶で言葉を詰まらせる者もいた。厩舎関係者で号泣している者もいた。
励ましの声を送るファンもいた。しかしどうあろうが中途半端な無念しか残らない。
というのがこの場にいた全ての者に共通する思いではなかっただろうか。ひと通りの
セレモニーが終わり、主催者・厩舎の者が去っていく時の思い。彼らの胸の奥にはどんな
ことをよぎっていたのだろうか。

実はこの翌日、もう一度開催を検討している。という報が私に伝わった。開催権の関係で
翌日は開催は絶対に不可能、と言われていたものの、もう一度、もう一度。開催出来ないかの
可能性を探っていると。これは一見ただの悪あがきにも思えたが、気持ちは分からない
わけでもない。結果的にそれも断念で、前日のセレモニーを以って全ての本当の終わりと
なってしまった。私には新潟県競馬にはいろいろな思いはある。確かに新潟に住んでいる
わけでもなければ毎週のように訪れていたわけでもない。三条競馬場に至っては
数回程度しか訪れていない。それでも350kmも離れたこの地から新潟競馬場には何度も
通ったつもりだし、いろんな思い入れのある馬、いろんな感動のレースを体験してきた
つもりだ。もちろん廃止は残念である。出来ることならば時間を取り戻してもう一度
考え直す余地がないのか。などということも考えなくはなかったが、いくら考えても
しょうがない。これで本当に幕を下ろしてしまうのが、今でも信じられない。
残ったのは思い出だけで、もう何も残らないのだ。さようなら新潟県競馬。