新潟県競馬 最後の日


序章
 新潟県競馬が廃止うんぬんというのは確かに以前より話しにはあったが、 それが自治体行政の場で具体的に出てきたのは数年前。地方競馬が経営という意味で 苦しい時代に入りつつる昨今、真っ先にその槍玉にあげられると思われたのが、この 新潟県競馬だった。しばらくは「廃止」という直接的な言葉は出てこなかったが、それが 徐々に「廃止を含めて検討」などという言葉に変わり、徐々にそのトーンは廃止に向かって いくようなものを感じざるを得ない雰囲気となってきた。

 その転機、 というか大きな打開策とあげられたのが新潟競馬場のコース・スタンド大改装による 集客増。御存知の通りJRAの施設である当競馬場、その改修にあたっては費用と共に全て JRA主導で行われわけだが、同じ施設を借用して使う県競馬にとってもリニューアルの波及効果は 少なからずあるのは確実で、そしてそれが新潟県競馬最後の砦として、存続への可能性を賭けた のである。言い方を変えればその効果が廃止か存続かを決める運命の分かれ道、判断基準と なってしまった。開場当時はその集客状況を見れば確かにその効果は確実にあったとは感じたが、 しかし残念ながら目標の収得額には結局届かなかったと聞く。11月初旬に新潟県・平山知事は 廃止を表明し、その月の下旬には廃止決議が県議会を通過。正式に廃止が決まった。

 冷え込む景気、レジャーの多様化、高額な施設使用料、そして共存を強いられたJRAという 大きなカベ。廃止への条件は揃い過ぎていたというほど揃ってはいたが、時代の変化に 取り残されるように廃止への道を一気に突き進んでいったのだ。そして、2002年のある日、 最後の開催日を迎えることになった。





最後の日
最終日は1月2日に決まったが・・・
 新潟県競馬の最終開催日として決まったのが2002年1月2日。最後の大一番・新潟グランプリを メインにした正月開催の最終日である。しかし、当日は朝から大雪。早々と翌日への開催延期が 決まった。私の地元・岩手では競馬が開催されてはいたが、新潟は朝から記録的な大雪らしい。 私も現地に飛ぶつもりでいたが、その報は早いうちに聞かされていたので、私は水沢競馬場に行って 自宅で待機していたが、私の知人の多くは新潟に着いたものの意味の無い空白の時間を 過ごしたらしい・・・。

最終開催日はいつになるのか
 さて、気を取り直して順延開催日の1月3日。満を持して私は新潟に向かった。この日も新潟地方は 雪らしいが新潟に残った知人に聞くと、翌日以降は主催者側の都合で物理的に開催は困難なので、 この日は時間をズラしてでも開催するということらしく、一抹を不安を抱えながら新潟に 向かう。しかし、移動の途中で私にはいった報は、ギリギリ粘った末にやはり開催延期。 市内に着くとこの雪。これじゃ無理だわな。とにかく開催は翌日延期に決定で、 今はいつになろうが無事に開催してフィナーレを迎えられることを祈るだけだ。


そして運命の1月4日
 雪はちらついていたがこの日は開催可能な状態らしい。なら、いざ出陣。と向かっていくと、 「1Rは予定通り実施」という報を聞き、ほっと胸をなでおろし競馬場に向かう。 しかし、競馬に着けばこの有様・・・。2Rまでは予定通り行われたものの、結局は3R以降は 取りやめ。同時に延期の無い中止が決まった。つまりメインを含んでレースは実施されず、 2Rまでで新潟県競馬は終焉となってしまった。


無念
 無念、実に無念である。もう二度と新潟県競馬は行われない。なのであれば最後ぐらいは ちゃんとした形で行ってほしかった。いや、ちゃんとしなくてもどんな形であっても とにかくメインレースだけは行って欲しかった。しかしこれだけはどうにもならない。 相手は天候。いくら努力してもどうにもならないことはある。何か県競馬厩舎の人達の努力を 象徴しているような結末だ。何とかまた翌日にズラしても実施出来ないものだろうか、 という思いは当然あったが、今度こそ本当に物理的な制約で不可能とは。最後の最後まで やり切れない思い。それは私やファン以上に厩舎の人達が強く思っていることだろう。

本当に最後の瞬間
 開催中止決定して間もなく、スタンドの中でジョッキーや調騎会会長(赤間松次調教師)らが 整列し、セレモニーを行った。当初は最終レース終了後にコースで行う予定だったものの、 この悪天候である。こんな場所でドタバタという感じでしかやらざるを得ないのも かわいそうだった。花束贈呈や向山騎手の挨拶が行われた。しかし赤間調教師の挨拶にあった 「最後は天候すら味方にしてくれませんでした」という言葉が全てを物語っているのでは ないだろうか。挨拶で言葉を詰まらせる者もいた。厩舎関係者で号泣している者もいた。 励ましの声を送るファンもいた。しかしどうあろうが中途半端な無念しか残らない。 というのがこの場にいた全ての者に共通する思いではなかっただろうか。ひと通りの セレモニーが終わり、主催者・厩舎の者が去っていく時の思い。彼らの胸の奥にはどんな ことをよぎっていたのだろうか。






全てが終って
 実はこの翌日、もう一度開催を検討している。という報が私に伝わった。開催権の関係で 翌日は開催は絶対に不可能、と言われていたものの、もう一度、もう一度。開催出来ないかの 可能性を探っていると。これは一見ただの悪あがきにも思えたが、気持ちは分からない わけでもない。結果的にそれも断念で、前日のセレモニーを以って全ての本当の終わりと なってしまった。私には新潟県競馬にはいろいろな思いはある。確かに新潟に住んでいる わけでもなければ毎週のように訪れていたわけでもない。三条競馬場に至っては 数回程度しか訪れていない。それでも350kmも離れたこの地から新潟競馬場には何度も 通ったつもりだし、いろんな思い入れのある馬、いろんな感動のレースを体験してきた つもりだ。もちろん廃止は残念である。出来ることならば時間を取り戻してもう一度 考え直す余地がないのか。などということも考えなくはなかったが、いくら考えても しょうがない。これで本当に幕を下ろしてしまうのが、今でも信じられない。 残ったのは思い出だけで、もう何も残らないのだ。さようなら新潟県競馬。






2002年1月 きくたけ









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